UMCのWing WEBに投稿した原稿です。2007年8月分。
結構、まじめに書いたので、そのまま本家の方に持ってきました。


先月号で予告した通り、今回はナルキッソス Side 2ndのレビューです。

と・・・書いた後に気付いたんですが、これ、レビューと言うには書き過ぎですし、ある意味では全然言葉足らずな気もしますし・・・

良く解らないので便宜上レビューとしておきますけど、そのつもりで読んでくださいませ。

 

また。このレビューではナルキッソスも含めて書いていきます。ネタバレ全開です。要注意。

えーとですね。かなりヘヴィーですよ?

気が向いたらどうぞ。

 

narcissu -SIDE 2nd- レビュー


この物語は、2年ほど前にネットで公開されたnarcissuの続編です。(HP:ステージなな

読みはナルキッソス。水仙のことです。



学名ナルキッソス、ヒガンバナ科の植物。

種でも育つが、開花まで数年かかるため球根が主。

夏の終わりに球根を植えるのが一般的。

開花時期は冬。

真冬の花壇が寂しい時期、一人凛と咲く姿は、健気で美しい。

そして、花言葉は自己愛。


英語表記は本来、narcissus。最後にsがもうひとつあります。
ですが、ちゃんと理由があってこの『s』が省かれています。

『suicide』と言う単語があります。日本語にすると『自殺』。

全作を通じてこの『自殺』がテーマのひとつになっていて、この『s』を取り除いた、とのことらしいです。
私自身もどこかで作者ご本人のコメントを見た記憶がありますので、間違いはないと思ってますが、
その最初の出自がどこであったか失念してしまいました。一応Wikipediaの紹介でフォローしときます。

以下、narcissu1作目を1作目、narcissu SIDE 2ndを2作目と書くことにします。

また。作品発表状況や各国語への翻訳状況、CV(キャラクタボイス)の詳細などは上記サイトに
詳しく書かれていますので、気になる方はそちらを参照してください。

また、HPにも書かれていますが、本作品には立ち絵は一切ありません。
背景とたまに出てくる挿絵でキャラクタのイメージを見る程度です。
ボイスのあり・なしを選択可能。個人的にはボイスありをオススメ。

もうひとつ。

まあ普通に読んだ場合、かなり『泣ける』と思います。
泣ける理由は様々ですが、何故泣けるのか、そこを考えさせてくれる物語です。

以上を踏まえた上で、以下継続して読むのをやめ、作品をプレイしようと思った方はそのようになさるのが良いでしょう。
もちろん、プレイ後に読む分には問題ないと思います。


さて。では続けますよ?

 

■主な登場人物
− 主人公(名前は出てこない) 男性 20才
− セツミ 血液型O、みずがめ座 女性 1作目では22才、2作目では15才。
− 姫子 血液型AB、23才、てんびん座、女性。


1作目は主人公とヒロインであるセツミの物語、2作目はセツミと姫子の物語です。

もちろんそれぞれの両親や友人、家族なども登場はしますが、主な物語は彼らを中心に進行します。


■主ではないにせよ物語の中で大きな役割を果たす人物
− 千尋 姫子の妹。姉同様、敬虔なクリスチャン。
− 優花 姫子の親友。
− 女の子 主人公同様名前は出てこない。8才。
− セツミの両親(特に母親)


そして重大なネタバレ:主な登場人物の3人と、主ではないにせよ物語の中で大きな役割を果たす女の子、合計4人が死にます。
表現が直接的な気もしますが、これはHPにもそのように記載されていますので、敢えてそうしました。
厳密に言えば彼らが亡くなるシーンは出てこないのですが、物語の進行上こう考えて良いでしょう。

主な登場人物の3人は、細かな事情は違っていても、同じような経緯を辿ってホスピスに入院してきます。
そしてそれぞれに葛藤を抱き、ある者は達観し、ある者は達観してるように振る舞い、
ある者は自分を客観視して残された時間を過ごしていきます。



■1作目について
1作目は2005年の冬、1月から2月にかけて。
主人公とセツミの葛藤と淡路島へのドライブ。
極論すれば描かれているのはそれだけです。

主人公は告知されてホスピスに入ったものの、まだピンと来ていない状況。
ですが、ちゃんとストーリが用意されています。

うまくまとめようと試みたのですが、却って散らかってしまったので、少々長いですがダイジェスト風にしてみました。


主人公が7階に入院した経緯


一方のセツミは10年近くに及ぶ入院、退院、通院、そしてまた入院・・・そんな生活にある意味達観している状態。
すべてを諦め、あるがままを受け入れている。
でも自分が死ぬ場所だけは自分で選びたい。
7階か自宅か。

7階とはこの物語においてはホスピスの代名詞です。
彼女はそのどちらで死ぬのも嫌だと思っていて、それ以外の死に場所を探している。

そして、二人は出会う。

推奨BGM:スカーレット
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高い天井、白いビニールの腕輪、15cmしか開かない窓。

そんな7階に移ったのは、まだ、新春のつまらない番組が流れている頃だった。

あの子と初めて出会ったのも、そんな年を明けてまもない頃だった。
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ふたりは、主人公の父親の車で病院のある茨城から、一路淡路島を目指します。

目的は水仙の花を見ること。ただそれだけ。

道中、セツミは何度か死のうとしますが、水仙の花を見ると言う目的のため、
また主人公との会話からその都度思いとどまります。

そしてやっとたどり着いた淡路島で、目的の水仙を目にするふたり。

道中の無理もあって先がないことを察したセツミは、その海を死に場所に定める。

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再び海へと歩き始める彼女のその後ろ姿に向かって、俺は最後の言葉をかけた。
「なあ、最後にもう一つだけ質問していいか?」
「うん」
「お前、今、引きとめて欲しいか? それとも、背中を押して欲しいか?」

やがて、俺の方を振り返ってくれると
「さあ…どっちだろうね。……あはは、よくわからないね」
そう言って、最後にもう一度だけ笑ってくれた。

冷たい波の飛沫を受けながら、涙を浮かべながらでも笑顔を向けてくれた。

「それじゃあ…さよなら…」
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『眩しかった日のこと。そんな冬の日のこと。』

これは作品の最後に出てくるセツミのコメントですが、これが1作目のすべてです。

しかしながら、最初にいきなりこの1作目を読むとその表面にばかり目がいってしまい、
どうしても意味のあるメッセージとして認識するのが難しいと感じます。
難易度は極めて高い。

一般的な評価として、この1作目が『鬱ゲー』と言われているのもこのためではないでしょうか。
ある意味、多くの謎を含んだ形で終わるこの物語の心髄は2作目で明かされます。
いろいろなサイトで、プレーするならば1作目→2作目→1作目と言う形を推奨しているのも、少なくとも私は同意です。

 

 

■2作目について
2作目は1999年の夏、7月から8月にかけて。
1作目から6年ほど時間を遡ります。

プロローグはふたつあります。
ひとつはセツミがまさにホスピスに入るときの様子。
時間軸上では2004年の夏のこと。物語へのイントロダクション。

もうひとつは2作目のヒロインである姫子が入院するまでの様子。
時間軸上では1998年の夏のこと。こちらがメイン。

同じようにダイジェスト風にしてみました。


姫子が7階に入院した経緯


こうして姫子が7階に入院してから半年後の初夏に、セツミは彼女と出会うのですが、
もちろんセツミにもストーリが用意されています。
同じようにダイジェスト風にしてみました。


セツミ15才までの経緯


やけに長い前振りでしたが、こうしてnarcissu SIDE 2ndが始まります。

姫子とセツミは同じ病院で偶然知り合います。
偶然という言い方は正確ではないかも知れませんね。
たまたま通院に来ていたセツミを見かけた姫子は、直感的にピンときて声をかけます。
最初はドン引きしていたセツミでしたが、少しずつ親しくなっていく中で、姫子の様々な側面を見るようになります。
この邂逅(かいこう)とコミュニケーションは、セツミ自身が置かれた状態を考えるのに、
決して小さくはない影響を及ぼしていきます。

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3年前のあの日から、入退院を繰り返す毎日。
姫子さんは自分自身のことを、”バチが当った”と言っていた。
じゃあ、わたしも、何か悪いことをしたからバチが当ったのだろうか…

一体、どんな悪いことをしてしまったのだろう?
そして、バチを当てられているのは、このわたし? それとも両親?
もしくはその両者なのだろうか。

色々と分からないことが多かった。

だけど、バチが当ったというのならば、一体、誰がバチを当てているのだろう?
もしその人に、ごめんなさいと謝れば。赦してもらえるのだろうか。

ポテトを黙って食べるわたしは、優しくないとも言われた。
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セツミの悩みとも考える時間とも取れるこのような文章はあちこちに出てきます。
それは実際にプレイして見ていただくのが良いでしょう。
単純なロジックの展開ですが、なるほどと思わされることが多々ありました。
もう一個だけ紹介しておきます。

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「でも。まだコレが嫌いとは言えてないみたいね」
そう言いながら、手でつまんだのはお弁当のポテト。
「……………」
「じゃあ、お姉さんが、とっておきの方法を教えてあげるわ」
「そんなのがあるの?」
「ええ、とっても簡単よ。
 あなたが『好き』になってしまえば良いのよ」

確かにその通りかも知れないけど
「むずかしいこと言わないでよ」
「あらそう? 病気を治すよりは簡単だと思うけど?」

きっと姫子さんの言う通りだろう。
病気が治れば、全ての問題が解決する。

赤い手をしたお母さんを哀しませることもなくなり、
再び綺麗にマニキュアが塗れたと笑ってくれる。

それは自分だって分かっている。
分かってはいるけど、自分ではどうにもならないこと。

それと比べれば
ポテトを好きになるくらい、簡単なことかも知れない。
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ところで、この1作目、2作目を通して地図が重要な役割を果たします。
これは姫子のプロローグで語られた通り、優花が姫子に贈ったものです。
姫子は、この地図をあるときは意味もなく、ある時は思いを馳せて眺めます。


地図


■7階(ホスピス)とルール
ホスピスそのものについては、既に広く知られていますし、これについてあまり多くを書くつもりはありません。
物語の中では次のように紹介されています。

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医療の進歩を待つ場所であるのと同時に心を癒す場所。
新たな治療を待つ場所だと言う人もいるし、心の平穏を得る為の場所だと言う人もいる。

一般的にはそれで正しいのだろうが、当人たちに言わせればそれは建前。
この7階は病院内にあって、唯一治療をする場所ではなく、ただ命が尽きるのを待つ場所。

ただ最初の入院でそのまま死ぬまで居ることはなく、ある程度落ち着くと家に帰してくれる。
でも暫くして悪くなると、またここへ帰ってくる。その繰り返しでいつか死ぬ。
尽きる場所が家か7階かの違いだけで、確実にどちらかで死ぬ。
いままでに例外はない。
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そして、この物語の7階においては、ちょっとしたルールが存在します。

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『3回目に仮退院させてくれたら、覚悟しろ。4回目はまずない。もう家には帰れない』
『もしも逃げたい時は、A駅ではなくB駅に行くこと』
『何も食べるな。それが一番の近道。家族にとっても一番負担が小さくて済む』
『ここに来たら友達を作ってはいけない』
『残される家族に対してすら会うべきではない』
            :
恐らく、ここに来た人間だけの、死にゆく当事者達だけで、伝え続けてきたことなんだと思う。

「もしかして、さっきの役目ってのは、これのことか?」
「ええ、そうよ。いつかあなたも。初めて来た人には伝えてね」
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解釈はいろいろ出来るでしょうが、それは皆さんのご想像にお任せします。

ところで。ここに書かれている最後のふたつ。
このルールは残す者に対する気遣いだと書いています。
去る者として、残される者が少しでも哀しまない為の配慮。
残される者が早く立ち直るために必要なこと。
でも残される者はなかなかそうは思わないでしょう。

去る者と残される者は永遠に交わることはない、とそう書いている部分を抜粋してみました。


去る者と残される者の想い


これは・・・賛否両論いろいろあると思います。
ですが、ここではこれ以上書くことはやめようと思います。
到底まとまりそうにありませんし、個人の想いの範疇でもありますから。


セツミにはたくさん考えることがあります。
姫子がこの時点で置かれている状況は、控えめに言ってもセツミにとって興味以上のものがありました。
いろいろと聞いていく中で、フランダースの犬を引き合いにした例え話が出てきます。


フランダースの犬


実際のところ、人にはもっと選択肢があるんじゃないかと思います。
ここで言う選択は極論であって、現実の選択は細かな事情の違いも加味すると、多岐に渡ると考えるのが一般的でしょうね。
でもこの物語では、極論で話を進めても違和感がありません。ま、そりゃそうか。

そして。このネロとアロアの役割分担については、物語中に明確な定義があります。
ただ、これは姫子が『エセカトリック』を名乗る理由と、冒頭に書いたもうひとりの登場人物、
主ではないけれども重要な役割を果たす女の子のエピソードと併せて見ていただいた方が良いでしょう。
例によって長いですが、読んでみてください。


姫子がエセカトリックを名乗る理由


■(姫子の)死ぬまでにしたい10のこと
洋画に『死ぬまでにしたい10のこと』があります。
あまり詳しくはないのですが、死を宣告された若い妻が死ぬまでにやっておきたいことを箇条書きにした物語らしいです。
私自身はこの言い回しを初めて聞きましたが、結構メジャーなんでしょうかね?

姫子もこの若い妻同様に、死ぬまでにしたい10のことを決めたようです。

物語の進行上、出てくるのは最後の4つ。

    :
 7つ目:年の離れた友達が欲しい
 8つ目:パイナップルの木の謎を解きたい
 9つ目:親友ともう一度会ってみたい
10個目:神さまにひとこと文句を言ってやりたい

7つ目はセツミと知り合うことで、8つ目と9つ目は(ここでは紹介していませんが)海岸へのドライブで実現しました。

そして最後のひとつ。

神の存在を信じている故に、その仕打ちに理不尽を感じる姫子は、ひとこと文句を言ってやりたいと考えます。
かつて7階で仕えた女の子への仕打ち、さらに思いもしなかった自分自身への仕打ち。

本来、病気はある意味平等です。
何か悪いことをしたからと言って重い病気に罹るものではない。
まじめにごく普通に暮らしている人が突然重い病気に罹ることだってある。

でも。

全知全能の神ならば、それを避けてくれたっていいんじゃない?

もちろん、ホンネの部分なんて書かれていません。私の想像で書きました。
この心情は、何というか人として理解できるつもりです。
最終的に姫子は神さまと仲直りしますが、これを実現するために、より神に近いところ、高い場所へとドライブに出かけます。
このドライブが、この物語における核と言っても良いでしょうね。

高いところを目指すひとつ目の理由は、神さまと直接話すこと。
7階の上、屋上はせいぜい高さ30m。
でもその程度の高さでは声が届かない。そう考えたのです。

ふたつ目の理由。それはカトリックとして最大の禁忌を破ること。
言い換えるならば。死に場所を自分で選ぶと言うことなのかも知れません。
この考え方は1作目にも通じます。

さて。クライマックスに近づいていく部分です。
もしこの物語をちゃんとプレイしてみようと感じたのであれば、この先は読まずにプレイされることをオススメしておきます。


より高いところへ


このあと、姫子とセツミは強行軍とも呼べる富士山の登山を始めてしまいます。
5合目から新6合目、7合目へと。
途中、セツミは何度も引き返すように説得しますが、姫子は従いません。

そして、7合目を過ぎたあたりでようやく足を止める姫子。
時刻は既に午前3時。夜明けを待って『最後のひとつ』を実行しようとしています。

この後は『誰が為に』に続きます。


誰が為に


そしてクライマックスです。

ホントに良いんですか?


魔法


1作目と2作目の両方をプレイすると(読み終わると)、エピローグへのリンクが出てきます。

これはさすがに書くのをやめときますが、その中に書かれている、あるひとことがこのnarcissuすべてを通してのすべてではないかと思います。

『残す者には笑ってあげて』

この言葉、あなたはどう捉えますか? もしくはどう感じますか?

この問いこそが、おそらく一番シンプルでわかりやすいレビューになるかと思います。

例によって毎月毎月まとまりのない文章を垂れ流している私ですが、今月はこんな終わり方をしてみましょう。


 

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